チームにおいて、達成・到達点について感じること
前のサイトより。
これの続きというか、ちょっと今度また更新予定です♪
今日は表題の通りの話です。
ブランディングやクリエイティブディレクターって言葉を探しては就活をしていますが、
いつも自己PRがどうでもよかったり、その会社でなきゃいけない理由に答えてみてもピンと来ない。
どうも、しっくりこない。自分らしさがない。
しっかりと準備をして整理された資料を用意できていない自分も悪いが、ぶっちゃけ、
・どこにいようが自分じゃなくてもいいだろう?
・仕事で生活ができるレベルの対価をいただき、成長できる場所にいれればいい。
なんて思ってる。(これそのまま言ったら落ちるね笑)
俺である理由、価値を求めるなって感じ。
全力でやるけど、いつか存在が曖昧になっていって、溶けて消えればいいとか笑
なんていうんだろう、この感覚がおかしいのかな?って思い始めていた今日この頃ですが、
ついさっき、素敵な言葉に出会いました。以下、仮説や想像のものが多いので、気分を害する人は
読まないでください笑
「自らの無価値化」
分野は限られるかもしれないけど、少なくとも広告なりコンサルティングに近しい仕事に
従事するフィールドで働こうとしているならばこの言葉はとても考えるべきだと思う。
そして、必ずしも正解とは言い切れない。
ただ、僕はこの言葉が、仕事にとってひとつのたどり着く極地で、そこからの考えが
自分の価値観ないし世界観に繋がって、これからの話になるなと感じて、しばらくは
これについて考えを深めたいと思った。
まずは、こちらを見てほしい。
・お客様の本質的な課題の存在=解決に繋がるクリエイティブ ⇒ 仕事
これが成立すると、本来ならば、
・本質的な解決=お客様にとっての資金投資した価値 ⇒ 仕事の成果
となるはず。
ただし、これでは課題が解決されてしまうと仕事がなくなっていくことに
気づかないだろうか?
・ビジネスとして、対価を得る=経営及び生活を維持する資金を得る ⇒ 生きる事
が大前提としたら、
・仕事の対価がお金であること=仕事がなくなったらお金にならない。
このリスクを避けないといけない。
つまり、
・お金を継続して得る=課題を残す
・課題を残す ⇒ 本質的解決をしない
なんということだろう、極論だけど、仕事として課題解決をする人たちは
課題解決をすると死ぬというパラドックス(逆説)が起こってしまうのだ。
では、重大な支障にならない程度に課題を残して仕事をしていれば全て解決か?
ということでもない。
いわば何も解決できないゴミを作り続けていけば必ず新たな問題が生じてしまう。
これでは、仕事ではないし、誰かの役に立ちたくて働いている人も、お互いにとっても幸せではない。
ごまかし続けたものがいつか限界がきて倒れてしまう。その時が仕事が完全になくなる時だ。
だから、仕事に対してのスタンスが求められるのだ。
「自らの無価値化」を目指す仕事が本質的な解決を実現し、そこに介在しなくても機能する世界。
その境地までたどり着くころには、一定の資産(人、モノ、金、情報)が付いてきているかもしれない。
自分にとっての生活はどのくらいの期間の命で、どこに情熱を持って仕事に臨むか。
人それぞれとはいうが、自由に情報を集めたり、選択ができるものが増えてきた現代は、
嘘をついて非対称な世界で暮らしている者は退場させられる時代かもしれない。
そんな中で、俺はこれから、自らが正しいと思える正直な世界で
「自らが無価値化するコト」を生涯、作り続けられるように働きたい。
ライフワークとして、常に職人でありたいというのが、仕事に対する1つのスタンスである。
さてと、滅茶苦茶なことを書き連ねたところで、
これを今日、言葉を手に入れた瞬間での、自分の思考の到着点として記録しておくことにする。
なんだか良く分からなかった人、一緒に考えてみませんか??^^
いろんな事を考えるけど、それぞれが俺の玩具みたいなもんで笑
それを考えては一つのクリアとして形にしたり、伝えるのが楽しい笑
正解はないけど、俺なりの定義をする遊び笑
では、この辺で。